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いじめにかかわるいろいろ

最近いじめって何かなって真剣に考えています。

いじめはいじめる人が悪い?子供の場合いは学校が悪い?
などどうしても2極構造になっています。

その良い悪いの2極構造からいじめを見ること自体がいじめ社会を作っている根本のような気がしています。

実際自分も子供のときからいじめる側、いじめられる側、見ている側、指導する側といろんな立場に立たされてきたような気がします。


結構この子のためにというスタートが多いような気がします。ここできちっと言っておかないとこのこのためにならないとか、あんな態度では受容れられないとか。
そのいじめを見てこの子にはこんな感じの扱いで良いだろうとか、こんなこと言っても良いだろうとか回りが加速していじめを繰り返す。そんな連鎖が起こってきます。
「きたない」とか「くさい」とか言葉がどんどん加速していきますね。

対象となった子も心の変化は激しいものです。
きっかけは些細な行き違いだったとしても、やっぱ意地になってこだわってしまいます。
回りは変で自分は正しいと思っていないとその場にいられなくなっていきます。
またいっそう意地になっていきます。
そうすると周りにはまたそれが格好のターゲットになっていきます。
後はどんどんスパイラル構造、誰も信じることができなくなっていきます。

見ている側
最初は、なにが始まったかわからないというのが本音の部分で、大変なことになっていると思ったときは、もう遅い。とめようと入れば、今度はターゲットになるかもしれない不安と、厄介なことに巻き込まれたくないという思いが先にたってしまいます。
人には心配だとか、○○ちゃんがかわいそうなんていいながら実際は何もできない。
そう思っているうちに、その大変な環境が日常へと変わっていく。

今いじめをしたら登校禁止にするなんてことが真剣に議論されています。
またそれがいじめを助長するってことがなぜわからないのだろうか?
いじめる側が、いじめられる側になって、また新たないじめが起こってきます。

いじめられる側の子も、いじめる側の子のいじめた行為はよくないが、心に「辛さ」「悲しさ」を持っています。

これが「正しい」、「これが悪い」と2極で判断している社会では、いじめの根本的な解決は出来ないと思っています。

人はなぜ違うのか?価値が違う時、どう行動していけば良いのか?その違いはなにを生み出していくのか?
人本来心の動き、感性、そして行動を呼び覚ます仕組みを今、初めて行くときが来ています。

これをやれば完璧なんて答えはありませんが、それを模索していく過程が、自分たちが住みよい社会を創っていく過程になって行きます。

自分には関係ないとかめんどくさいとか思わずに、何か始めてみませんか?
まず「何か」を探すところからでもかまいません。

多様な価値観をお互いが尊重しあい、感謝し合える社会に向けて・・・・